中国ではいろいろな場面で身分証の提示が求められますが、その際外国人が提示するのはパスポートです。そしてパスポートをみた中国人のほとんどは英語で話しかけてくれます。
外国人に対する親切心だとは思いますが、英語ができない私にはかなりの苦痛で、何とか中国語で話してもらえないか、なんと言ったら中国語で会話をしてもらえるのか考えました。
英語を話すことはステータス?
パスポートを提示する場所として最も多かったのはホテルのフロントです。
当時は外国人がどのホテルでも自由に泊まれるわけではなかったので、宿泊手続きをするのは星付きのある程度のランクがあるホテルになります。そうなるとそこのフロントにいる人たちにもプライドがあったのでしょう。
请用汉语说。(中国語で話してください)といっても、鼻で笑われそのまま英語で話し続けられました。
今考えると、英語も理解できないのかと私を馬鹿にしていたのか、話している英語が下手で理解できないから中国語で話してほしいと言われたと勘違いして怒ってしまったのか、わかりませんが、意味が分かるだけでは意図は伝わらないことを実感しました。
まずは耳が鍛えられる。
何を言っているかはわかるけど、話すことはできない。会話をすることはできるけれども文章は書けない。といったことは外国語を勉強している人のほとんどが感じることではないでしょうか。
相手の言っていることはわかるけど、自分の意見を言うことはできないというジレンマ。
両親が中国人でも日本の学校に通っていると母国語が日本語で中国語は聞いてわかるけど話せないという人を何人も知っています。
喧嘩をするとき親は中国語、子供は日本語になるのですがそれでもお互いにちゃんと通じ合っています。
本当の気持ちを伝えるときは母国語じゃないとだめだそうです。
表面的な意味だけでなく選ぶ単語によって考えも伝えることができるのだなと実感します。
私の中国人の友人も日本語を使ってしっかりと社会生活営んでいる人なのに、常に中国語で話しかけてきます。理由は楽だからだそうですが、気持ちは理解できます。だって、私は日本語で話していますから。
結局、中国語で話してほしいときはどうすればいいのか。
などをわざわざ相手に伝える必要はなかったというのが私の出した結論です。
これをいうことによって相手に傲慢な人だと思われてしまったのかもしれません。
こちらが中国語を話していれば相手はそれを聞いてある程度レベルを判断して話してくれます。時には英単語を交えながら。ホテルのフロントなどはさすがにプロフェッショナルでレベル判断を上手にしてくれます。
しかし、こうやって中国語を使うと逆に中国語で話さないでください。と言いたくなる時もありました。怒涛のように話しかけられ全くわからない時どうするか。我不会说汉语。(私は中国語ができません)と言ったこともありますが、そのあと、「中国語話せているでしょ。私がわかるから。」と突っ込まれたことがあります。まあその通りです。
「わかりません」や「知りません」は使ったことがありません。日本語で聞いても突き放したような印象になるのが自分でも嫌で極力使わないようにしました。で、相手にこれ以上話してもらいたくない時なんといったかというと
これだけで察してくれる人。構わず話してくる人などもいますが、そこは笑顔で分からないふりです。結構いろいろ言われたりもしますがそこはご愛嬌。